被災地をあるいて(2)  教会長  

  3月17日、宮城県気仙沼市で執り行われた「東日本大震災一年祭」に、参拝のおかげをこうむらせていただいた。
 昨年夏に一度、宮城県石巻市を訪れ、奉仕活動に参加させていただいていたが、今回の訪問で、初めて空路仙台に降り立ち、空港周辺の荒涼とした景色を目の当たりにして、あらためて被害の甚大さを痛感させられた。とにかく、空港の周辺には「何もない」という表現しかあてはまらないのである。
 レンタカーを借りたのであるが、そのレンタカーのお店は、どこもプレハブだった。
 道中、松島へ立ち寄った。風光明媚なはずの海岸も、赤茶けた松の木など、震災の爪痕はあちこちに残っていた。せめてもの救いは、週末もあってか、観光客が町の賑わいを彩っていたことだ。観光に訪れる人々の活気が、そのまま被災地の復興につながっていくように感じる。
 途中、昨夏お世話になった石巻教会に参拝し、さらに北上して、南三陸町に立ち寄った。瓦礫がなくなり、あちこちに山積みにされていたのが痛々しい。ここから気仙沼に抜ける道中、JR気仙沼線沿いに車を進めたが、いたるところで、高架橋や鉄橋が微塵もなく破壊されていた。この場所にいつか、鉄路が戻り、列車が行き交うようになることを念願してやまない。

 さて、今回は金光大阪・金光藤蔭の二校が、被災地での訪問演奏をさせていただいたが、この意義が二つある。
一つは「かわいいと思う心が神心」と、難波初代、近藤藤守先生が教祖様から受けた教えを、被災地に立った生徒たちがいやというほど体感したことである。「小さなことでもいいから、私たちができることを、させていただきたい」という、神心の発動をうながした今回の訪問が、他の生徒たちに広がり、何らかの形で今後も続いていくことを願う。

もう一つは、両校の生徒たちが「被災地の人々に元気と希望を与えたい」という強い思いをもって、演奏に臨んだことである。参加生徒の大多数は、いわゆる「未信奉者」である。その彼らが「神人の栄光」を演奏し、それに合わせて歌う参拝者の多くが、感動の涙を流して斉唱している姿を見て、この思いは確かに伝わっているなあと思うと、心を熱くさせられたと同時に、確かなる復興への光を見出せたように思う。あらためて、被災地の復興と被災者のみなさんのご健康を心より祈るばかりである。

 
                        

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